川合広宇 「エッセイ」 02.11.25


僕は、けっこうあいまいな方だ。
”探し物はなんですか?”と聞かれても、すぐには答えられそうにない。
実際、今習っている英会話でも、
”what do you want?" "what is your hobby?"...
"ahmmm..."
まず、会話にはならない。英単語もよく知らない僕には、土台無理なはなしなのかもしれない。
それは、まあいいとして。

今日、朝も早くから山に登った。
午前8時、池袋駅集合。単に早起きというより、午前中に僕がなにかをしていること自体が、なかば奇跡のようなものではあった。
もちろんそれは、30分遅刻した言い訳にはならないのだが。

”登山”
活字にしてしまうと、なにか重苦しい響きがするそれに対する違和感は、なぜか僕にはまったくといっていいほどなくて、時間は日常のようにながれた。だから、登っている最中も何故この場にいるのかとか、何故実際”伊豆ヶ岳”に登っているのかとか、余計なことばかりを考えた。

ただ、”山くだり”は僕の背中をトンと押した。ひたすら登り、目的地点について、一服すると、あとはただくだるだけ。止まりたくても、足は勝手に進んだ。
片側の崖に目を配りながら味わう恐怖。体ごとすべりおちていくような開放感。
中継地点にポツンと立った休憩所で、”考える暇のない心地よさ”に浸りながら、300円のオレンジジュースを飲んだ。
”今日のは、ま、軽い、いわばハイキング程度のものだったな”ヤマチャンは、いつものようにぼやいた。
”そうだね”
僕は、いつものように強がってみせた。

あまり味わったことのない疲れとともに家に戻った僕は、自分の部屋をはじめてありがたいと思った。
そして、ぽっかりあいた静かな空間で、三日前、英語でなげかけられ、答えられなかった問いを、日本語に直してぼんやり自分に問いかけてみた。
”あなたの両親は、どういう方達ですか?”・・・・

幼少時代を想うそんなとき、強い感傷性とともに、僕の脳裏には、必ずある強烈な光景が思い出として蘇ってくる。
”授業参観”
そこは、幼い僕が主役を張れる、数少ない舞台のうちのひとつだった。

まだ小学生の、それも低学年のころ、その桧舞台に母が遅刻して登場したことがあった。
キョロキョロ周りを見渡していた僕は、その姿を発見するや否や、とびあがるように席を立ち、叫んだのだという。
”おかあさーーん、遅かったねーーー!!”・・・

”あのときは、まるで母さんが主役になったかのようだったよ”
彼女は、ことあるたびに誇らしげにそのときのことを振り返った。

今思えば、僕は、運動会の季節には放送委員を務め、修学旅行系の一大イベントでは自ら実行委員の座に就いた。
そして彼女は、そんな姿をまるで我がことのように喜んだ?

ただ、家庭訪問の時期を迎えるころになると、僕は必ずといっていいほど憂うつな気持ちになった。そして、母のカミナリは、予想を裏切ることなくまっすぐに落ちた。
”わがままに生きればいいってもんじゃないのよ!!”
僕は、せまいアパートの押入れに閉じ込められた。そこには、とても耐え難い種の、深い暗闇があった。
そこで過ごす時間は、10分であったり、20分であったりした。僕は、そこからなるべく早く抜け出す手段を模索した。

小学校も高学年になり、算数の問題を解くのも困難になりはじめたころ、一度だけ父がその教室に姿をみせたことがあった。
父親参観・・・いまでもそういわれているのだろうか。
そのとき出された難問を前に、僕はとりあえず手をあげておいた。そうしておけば、まあメダツからだ。
担任・ヒラカワは謎めいた笑みを浮かべ、まっすぐ僕のほうをみつめた。
”川合君、いってみよぅか”・・・

”あの問題が、おまえに解けるはずはないと思ったよ。後で答えたあの子、名前なんてーの”
下校時、父は何故か冷静にその場をふりかえった。
あの帰り道の景色が最悪だったことと、台形の面積の求め方をスラスラと言ってのけたスガノ君の得意気な表情は、いまだに忘れることが出来ない。

僕は、今では考えられないほどの多くの本を子供のころ読んだ。
本のタイトルは覚えていなくても、彼はそんな僕をみるとウンウンと大きくうなずき、おみやげのたこ焼きを右手にほほをすり寄せた。

ただ、僕の空腹はたこ焼きだけでは満たされなかった。
マンガがよみたい、ゲームソフトがほしい、お金がほしい・・・
同時に、成績表の数字に”5”をみつけることができないと、彼が酔った勢いをそのままぶつけてくることを僕は知っていた。
いつからか僕は、”報酬”を得るため、勉強机と向かい合うようになった。

母は、僕の短所を補おうと叱ったのだろう。
父は、僕の長所を伸ばそうと褒め、与えたのだろう。
肝心なとき束縛される、自由。強いられる、努力。

母は、気ままに生きる僕が許せなかったのだろうか。
父には、がんばらないでいる僕の姿が腹立たしくおもえたのだろうか。

答えは、過去形のかたちでなんども繰り返された。
繰り返されるそれは、僕が優柔不断であることとはやはり無関係なのだろう。
・・・”あなたの両親は、どういう方達ですか?”

”父は、がんばるべきではなかった人です””母は、自由になりたかった人です”

この感情はいったいなんだろう。
まだ、怒りはわかない。


FAKE

たまらなく何かの衝動に駆られることがある。僕は歌が上手なわけではなく、ダンスが得意なわけでもないので、ベッドにもたれかかり、ほおづえをつき、ぼんやりと一人つぶやき、それをメモ帳に書き留める。

そんな時の僕は大抵全てのことに満足し、自己陶酔の世界に浸っているか、何をやってもうまくいかないと感じ、もうひとりの僕と壮絶な舌戦を繰り広げている最中のどちらかなので、後でメモを読み返してみても意味がよくわからないことがしばしばある。

ただそれが二日過ぎ、三日過ぎ・・・まったく違う角度から同じ思考回路の渦に迷い込んだとき、それらは無形の財産としてようやく僕の心に宿を求めるようになるのだ。

ひょっとすると自分が自身をもっともほめてやれる瞬間は、何年も書き溜めた日記を、ふとしたタイミングで読み返したとき訪れるのかもしれない。もっとも、僕には日記をつける習慣も、それを続ける根気もありはしないのだが。
逆に全ては都合よく進み、この惑星は自分のために存在しているかのように錯覚するとき、全ての不幸は自分に降りかかってくるかのように思えるとき、僕は大抵ベッドに寝そべっている。そのぐうたらっぷりは人に誇れるものではなく、そのくせ何故か誇らしげに大の字を構えるその“三年寝太郎”をおもわせる様子は、やはり不自然なものだといえる。

最近、自分の将来が不安に思える。人にはそれぞれ岐路があり、たとえ自分がいまそれにさしかかっているだけなのだとしても、眠りに就くとき、“自分の姿”を見失ったまま覚える焦燥感は、正直耐え難いものだ。“受け身”さえ否定してしまうそこには、悠然とした寝太郎の姿はない。

枕元にあるシャープペンシルを執る余裕も、置く姿勢もそこには存在しなかった。

刺激から眼をそらせぬまま凝視するテレビ画面は、新曲を披露しようとするミスチルの姿を映し出していた。テレビでは初公開ということらしい。僕はビデオデッキにすがるようにして、録画ボタンを押した。

“CROSS ROAD"以来、音楽を聴くようになった僕にとって、ミスチルの存在はやはり偉大だった。ここ数年来、自分の心理状態がたとえどう置かれていても、彼らの刻むメロディーが僕の脳裏から離れることはなかった。

“精神的なおっかけ”
僕の心にアイドルは存在したのだ。

“僕は  僕のなかに潜んだ暗闇を  無理やり  ほじくりだして  もがいてたようだ”

馬鹿馬鹿しいほどにシンプルでタイムリーなその歌詞は、僕を安心させ、その孤独感を取りのぞいた。そしてその時まるで歌詞とは関係のないイメージが、自分の中に突然浮かび上がった。

例えば少し気取ったバーにカップルが座っていて、酒に呑まれ気味の男が“俺って救われないんだよねェ”
などと唐突に語りだしても、彼の恋のトリコと化してくれる“カワイイ”女の子は居はしない。

“あなたって大人なのねェ・・深いわァ”
喜劇にもありえない展開だ。

だが、“僕”らが手を変え品を変え、日常茶飯事のようにくりかえすことの本質は、それと大きくは変わらない。恋愛でも、たわいもない人間関係においても。社会に出ても、家に帰っても。

“自分の中に潜んだ暗闇”を、逆にさらけ出すように演じてみせることで、すべて、ほかでもない自分をもとりこみ、防護膜を張り、それにさえ気付かぬふりをしている・・・強烈な種の依存。

そしてふと我に還ったとき、興ザメした女のコに取り残された自分の惨めな光景が、超大型のスクリーンに写し出されているのを感じるのだ。

“大人って、つまんねんだなぁ・・・”

“サクライサン”が描いた五分にも満たない芸術は、圧倒的にリアルに僕に迫った。ただ胸ぐらをつかませるのではなく、心臓をえぐり、にぎらせ、その鼓動までも聞かせるようなリアリズム。

その”背景”を含めたすべてが一枚の”絵”になったとき、僕は過去を認めることができるのだろうか。憧憬・・・そして立ち止まることの意味。

楽しみたい。歓びたい。愛したい。
・・・・どうせなら、シンプルに生きたい。

ベッドの上でロダンの”考える人”になっている僕をみて、人はなにを思うのだろう。ただ、僕にはほかにできることなどないから、独特の曲調を奏で、個性的なステップを踏みながら、ただペンを走らせるのだ。

2002.07.08

この文章は、格好つけているだけの自分に嫌気がさし、悶々としていたころに書いたもの。
自分自身をだましだまし生きていたから、何か嘘っぽいことを書くのが嫌で、すごく時間がかかった。
その意味もあってタイトルは”fake”です。
たぶんね、悩みがいい方向に解消されていかなかったら、一生書けなかったかもなあと思う。
悩むことができるいまの自分はほんと幸せだなあと思います。
相談に乗ってくれた”若夫婦”に感謝。
読んでくれた方にはほんと感謝です。


恵まれた風貌。彼の風貌は、あと幾重かの年輪を刻むことで本領を発揮する。案外、あの風貌と内面の折り合いがつかぬ現状が、彼の”苦労”の温床なのかもしれない。

彼もまたゼイタクな感受性を持たされてしまった人だから、並外れて多くの経験と観察とを重ね ながら生きてゆくことになる。そんな日常が、傍目からは、迷ってる、逡巡している、ともみられかねない。そこにも彼の”苦労”の温床がある。

でもそれらのすべての”苦労”が、たとえば文章という表現手段を得るだけでも一つの「実」として構成される。彼にふさわしい表現手段が何なのか。それを探り当てるのも”苦労”ではあるのだろうけど、探り当てた先は、おそらくかなり華々しい展開になると予感している。

山崎雅保