川合広宇 「手紙」 05.01.11


母ちゃんは僕を否定しない。僕に都合のいい考えが降り注ぎ続けるのは、母ちゃんが僕に勇気と気力と精神力を供給しつづけてくれるからかなぁと思ったりもするのだが、それでは身体が休まらないかなあとも思う。
マザコンなのはわかっている。わかってたほうがいい。わかってたら平気だって思ってるところがある。山口さんは甘えたいだけ甘えろというし、本人もそれ素晴らしい、精神安定剤の役okだって言うし。僕だって甘えたいし。ただ、やっぱり息子が母親に甘えたいのは当たり前でそんなのいつまでだってそうだよとも思うんだ。
でもやっぱり自然に離れていくって発想に僕はしがみついてしまう。広はマザコンとは全然違う、完全に母ちゃんとは離れてるんだよって言葉にもすがってしまう。自分は特別なんだって思ってしまう。
全部が母ちゃんとつながってきてしまう気がする。母ちゃんのせいにしてしまう自分がいるのです。
”居場所”のことを思うとき、新しく始めたバイトの事が頭に浮かび、そのお陰で充実しているのだ、都合のいい考えが頭に浮かんでくるのだと思っていたのだが、だったらそれは”新しい居場所”だなぁとか、家族もきっと居場所と呼べるものだなぁとか思ったりしていたら、やっぱり母ちゃんのことを書こうと思う。母ちゃんのお陰なんだなあと思う。
何故動いたのでしょう。戻るためだと言ったら、山ちゃんに誉められるかなあとも思う。戻る場所があって、それは調子の悪い時のためだけにある精神安定剤のようなものとは違うから、僕は安心して元気になります。