大平和良「奥多摩」 05.03.31


旅・写真・うたたね・安くて旨い蕎麦&ラーメン・徘徊・フリマ・自然散策・キリンメッツガラナ・印旛沼・奥多摩・島嶼・谷津干潟・FMラジオetc.を愛する浪人
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奥多摩:東京西端部、多摩川上流地域の称(広辞苑第四版)。
文字通り多摩の最奥部に位置し、1000m級の山々が連なる東京の屋根ともいえるところ。
豊かで厳かな大自然が織り成す、東京のもうひとつの顔。

三月某日
「奥多摩に遠足にでも行かないか」
松戸に住む友人Yよりメール受信。自然と戯れたい。すべてはここから始まった。

三月三十一日
お役所的に高校生最後の日、僕たちは出かけることにした。
09:31青梅発奥多摩行き電車集合。

 朝4時半頃目がさめた。体力温存のため二度寝し、午前7時出発。京王線から分倍河原で南武線、思ったより混んでいなかった。立川で青梅線に乗り換え青梅へ。青梅線も東青梅あたりまでは中央線の支線といった趣で、沿線を家やビルが埋めており、この時間の乗客も多くはスーツ姿のサラリーマン。青梅まで行くのだろうという予想に反し、その多くは小作や河辺で降りていった。その河辺ではもう駅舎の軒下にツバメが巣を作っていた。彼らは朝な夕なにこの駅を利用する通勤客のつかの間の癒しとなっているのだろう。
 路線は東青梅から単線となり、車窓の緑が濃くなって青梅到着は08:37。奥多摩方面へはここで乗り換えとなる。青梅は最近昭和レトロの街づくりを進めているらしく、ホームの駅そば屋がレトロ調になっていたり昔の映画のポスターが貼ってあったりする。数年前に御岳山を訪れたときはまだ普通の駅だったと思う。大正13年の建築だという駅舎はかつてと変わらずに、春の日を浴びて佇んでいた。

“臨川庭園”

 集合まであと一時間あるのでちょっと数駅先まで行ってみよう。折り返し08:55発奥多摩行きとなる電車が入線してきた。乗ろうと思ったが、様子がおかしい。あっ、喧嘩だ。おもむろに急いで手前の車両に逃げ込む。喧嘩に気づいた乗務員によって、彼らは駅舎のほうへ誘導されていった。車内に目を移すと、地元の方々に混じって山登りの人やトレッキングのおばさんたちが目立つ。親子連れもいる。
 一駅行って宮ノ平で下車。マンションはあるものの、至ってのどかだ。青梅丘陵ハイキングコースなどの案内を眺めつつ、さて折り返しまでの20分あまりをどう過ごそうか。と、"臨川庭園・駅から分"という看板を見つけた。道しるべの示す駅前正面の山道を下ってゆくと多摩川のほとりに至る。何のことは無い河原。道を間違った
のかもしれない。しばらく川のせせらぎに耳を澄ませ、09:21発の青梅行きに乗るためハイペースで山道を戻る。日ごろの運動不足が祟ってすぐにへばってしまう。息も絶え絶えに駅にたどり着くとまだ電車は着ておらず一安心。宮ノ平からの乗客は意外と多く、知り合いらしい数人が挨拶を交わしていた。
 09:24青梅着。この電車が折り返し09:31発奥多摩行きとなる。トレッキングのおばちゃん達が大挙して押し寄せてきたので最後尾の車両に移動、09:30に到着予定のYと連絡をとる。やがて09:30、中央線からの電車が10両編成で到着。青梅で降りる人、奥多摩行きに乗り換える人、折り返し特快東京行きに乗る人、交錯する人々の頭上で発車ベルが鳴り響き、奥多摩行きのドアが閉まる。Yと車内で合流し、まずは二駅先の日向和田(ひなたわだ)の吉野梅郷を目指す。2/25〜3/31まで吉野梅郷梅祭りというのをやっていると聞いたからだ。なんでもJR青梅線日向和田駅から二俣尾駅まで多摩川の南岸沿いに広がる吉野梅郷では、樹齢300年以上の古木も含めて二万五千本もの梅が咲きそろうという。今年は花が遅かったからまだ十分に楽しめるのではないかと期待に胸を膨らませて日向和田に降り立った。

“梅と火の見やぐら”

 日向和田はいつの間にか駅舎が変わっていた。ログハウス風の駅舎では、多分地元の方と思われる委託駅員が、いっぺんに降り立った多くのハイカーを相手にてんてこまい。駅前には青梅線に沿って走る国道411号線があり、駅は一段高いところにあって眺めはよいが駅をバックにした写真はとりにくい。駅の奥多摩寄りにはかつての木造駅舎が臨時改札として残されていた。珍しいことだと思う。
 梅郷へは多摩川を上流へ少し歩いて神代橋で対岸へとわたる。もう早速街路樹から何から梅だ。川は遥か橋の下を流れ、うららかな陽光の中、山の緑が気持ちいい。
のどかな街並みを歩いてやがて吉野街道に出た。街中にいくつかある消防団には火の見やぐらが聳え、半鐘も堂々吊るされていた。現役なのかどうかはともかくも印象的な光景だ。
 案内板にしたがって生活道に入る。ゆるやかにつながりあった、古びた家並みや畑や道が歴史を語る。左(青梅方向)に行くと梅公園、右(奥多摩方向)に行くと梅郷中心という看板――記憶があやふやなので間違っているかもしれない――があり、そこらじゅうに梅があるで公園には行かんでもいいかと右へ進む。あとで地図を見るとその公園はずいぶん広くて梅も多い―むしろそこがメイン―らしく、ずいぶんと惜しいことをした。
 どうやらこのあたりは白梅が主のようだ。あたり一面、梅、梅、梅。桜のような色でありながら咲き乱れるという風でもなく、穏やかに、静かに咲いている。八幡神社に立ち寄ってお参りしていくと、梢を揺らす風の音や公園で遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。春霞の空、気候も申し分ない。まるで桃源郷に迷い込んだかのような気がしないでもない。こんなところでのんびり暮らしたいものだ。だが仲良く浪人したYとの話題は、今年のこと、これからのこと、断つに断てない浮き世の話であった。
 そのうちに道は丁字路にぶつかり、もう終わりなのかと思って駅の方向に戻る。
街道を外れると観賞用の梅はなくなって梅の実を採る梅園が多くなり、それはそれで美しい。と、道の途中で多摩川のさらに上流にかかる橋が見え、コースタイムを考えればあの橋が渡るべき橋ではないかと踵を返す。面倒なので街道には戻らず、適当な生活道に入った。道はすぐに両側が杉木立となり、黄茶けた花粉が枝々を覆っている。僕は万年鼻炎持ちだが、空気がきれいなところでは意外と花粉も平気だ(帰宅後に悲劇が訪れた)。
 先ほど見えた橋は、やはり渡る予定の奥多摩橋だった。古くからある橋を路面だけリニューアルしたような不思議な橋。奥多摩というにはずいぶん下流という気もするこの橋を渡ると、二俣尾駅はもうすぐだ。

“きび大福”

 目の前の線路を電車が走っていった。次の電車は30分後。さてと駅前を見渡すと、きび大福というのぼりが目に入った。Yとともに赴くと、おばぁちゃんが迎えてくれた。真っ先に目に入ってきたのがきびおこわの貼り紙。これなら今すぐ食べられそう。
「きびおこわってどういうのですか?」
「あーごめんねぇきびおこわ売り切れて今ないの」
せっかくだからきびを使ったものが食べたい。きび大福?900、きび餅¥550(切り餅)、きび500g?500。さぁどれにしよう?
大福は持って帰るうちにつぶれそうだし何より高い。もう少し小さいのがあれば…(あるのかもしれないが)。きび餅ときび、どっちにしよう?
きび餅はうまそうだが家で焼くのが面倒だ。結局きび500g?500をお買い上げ。これでいいのかな?
まぁまた来ればいいや。ついでにカウンターに置いてあった酒まんじゅう¥ 80も手にとる。今食べるならあったかいのがあるからと別のを持ってきてくれた。
これは駅で食べてみたら、おばあちゃんがこさえている光景が目に浮かぶような、懐かしい味だった。
 その後しばらくおばぁちゃんと話しこんだ。どこからきたのか、この時期は花粉がすごくて縁側がまっ黄色になったりする、ここはなんにもないところでしょう、発展もしないし…でも発展してもいいことばかりとは限らなくて、やっぱりこういう所にくると落ち着きますよ…。都会に住むものは田舎の緑や悠長さが恋しく、その逆は都市の便利さや煌びやかさにあこがれ、また置いていかれまいとする焦りがあるのかもしれない。そこにはジレンマの典型というべき悪魔が潜んでいるのではないだろう
か。それにしてもこんなのんびりとした買い物は、ずいぶん久しぶりの気がする。

“青梅線添景”  写真: アーカイヴス 青梅線-(青梅以西)- '01年夏の記録

 やがて奥多摩行きが来た。青梅から多摩川の谷に入り、路の険しさを増した青梅線。だんだん対岸の山との距離が近くなってくる。高水三山の登山口にあたる軍畑は駅舎がリニューアルされていた。かつての民家のような旧駅舎を知る身としては複雑な心境だ。この駅は急斜面に横たわっており、駅前の道がものすごい急傾斜で下方の集落へ続いていてなかなかすごい。沢井、御嶽(みたけ)と多摩川随一の渓谷といわれる御岳渓谷に沿って走る。もう対岸はいきなり山で、電車も等高線をなぞるようにうねりにうねりながら走る。御嶽には御岳山への入り口にふさわしい立派な駅舎が建っていて、山へは駅前左手の乗り場からバスが出ている。行ってみると山頂の神社周辺には集落があったりなかなかおもしろいのだが今日は行かない。御嶽を出るといよいよ奥多摩町に入る。奥多摩大橋の目立つ川井。大きな集落のある古里(こり)。二俣尾、沢井に続いて列車がすれ違う。停車時間にホームをうろうろしていたらカメラを落としてしまった。恐る恐る点検すると鏡胴が凹んだだけで壊れてはいなかった。さすがはTRIP35。
 鳩ノ巣、白丸を経て少し長いトンネルを抜けると終点奥多摩だ。奥多摩電気鉄道として建設されながら、戦時買収によって国有化され国鉄青梅線として開業した駅だ。開業当初は氷川といった。駅の裏には奥多摩工業の大工場があり、石灰積み出し場となった貨物側線の跡が石灰輸送でにぎわった往時の面影を残している。その側線跡の縁に一面二線のホームはあって、よくも電車が入って来られたものだと感心するくらいきついカーブを描いている。ぼーっと降りようものならたちまちホームとの間に転落してしまうだろう。階段を下りて駅舎へ。これがまた奥多摩の玄関にふさわしい瀟洒で立派な建物だ。これが資材欠乏の戦時中(昭和19年)に建設されたものだとは、言われなければわからないだろう。トイレで聞いた掃除のおばちゃんたちの少し訛った言葉を聞いているうちに、奥多摩に来たなあという気になってくる。

“お祭りと川のせせらぎ”

 さて、ここから先は何にも考えていなかった。Yは奥多摩湖が見たいといい、僕は日原鍾乳洞に行ってみたかった。とりあえず駅前のバス乗り場を覗いてみると奥多摩湖方面へは多くのバスが走っている。小菅村や丹波山村まで行くバスがあって、何時間かかるかわからないがいつか行ってみたい。路線図を眺めていると不思議なバス停を見つけた。女の湯、雲風呂、金風呂。これはまだいい。お祭り、雨降り、下り。これは地名なのだろうか?
地元の方言説などいろいろ考えてみたがサッパリわからない。こういうところに限って一日三本しかバスがなかったりする。いったいどんなところなのだろう。
 とりあえず川に行きたいというYの意向を汲み、バス乗り場と町役場の間の階段を下りて多摩川の支流・日原川の河原へ。水が青い。バーベキューをしているグループを尻目に靴を脱いでざぶりと入ってみると、雪解けの水か恐ろしく冷たい。さっさと陸に上がり水切りなどして遊ぶ。
 そういえばこのあたりではチャートが取れると聞いたことがある。プランクトンの殻のガラス質が深海底に堆積したもので、火打石にも使われる。ちなみに石灰質が沈殿すれば石灰岩になる。小学生以来の石好きに火がついてしまった。といってもチャートがどんな石だとか詳しいことは覚えていないので適当に面白そうな石を拾って歩く。土地柄やはり石灰岩や堆積岩(泥岩など)の類が多い。石灰岩も白いものや灰青色のものなどある。この紫色の石はなんだろう? 適当に石を拾ってはかばんの中に入れていたら、ずいぶん荷物が重くなってしまった。

“幻影トンネル”

 結局日原鍾乳洞に行くことになった。12:40発の一日五本のバスに乗るため急いでバス乗り場に向かう。駅舎と茶系色のバスが妙に似合っている。意外にもノンステップバスで、鍾乳洞に行くらしいカップル2人のほかには地元のお年寄りが数人乗っているだけだった。
 運転士のほかに職員が一人乗り込んできた。暇なのかと思ったが、運賃収受役と降車の補助をされているようだった。確かに杖を片手のお年寄りには、運賃を運賃箱に入れたり乗り降りしたりするのも大変そうだった。バスは駅前の通りをいったん下流方向に出発し、日原川を渡るとあらためて進路を上流に取った。ここから先はフリー乗降区間とのこと。といってもバス停以外で乗り降りする人がいるとはあまり思えないが…。
 街並みはすぐに途切れ、すれ違いがやっとできるかどうかの舗装もひびわれた狭い山道となる。車窓右下にかつて小河内ダム建設で資材を運んだ廃線跡の橋が見える。以前テレビ番組で子供達が廃線復活といって重箱の隅をつついていたが、町やJRがまじめに復活に取り組んでしっかりした観光路線にしたらなかなか面白いのではないかと思う。
 大増鍾乳洞のある大沢の集落を出て日原川を右岸から左岸に渡ると、道はますます険しさを増す。車窓の片方はコンクリートや石垣の擁壁、もう片方は杉木立で下の見えない谷や崖。すれ違いさえ満足にできない道路は、それでもその半分近くが谷へせり出し支柱に支えられているのだった。東京の見せる、もうひとつの厳しい顔だ。
やがて前方に大きな石切り場が見える。ここで切り出された石がトロッコで奥多摩駅裏の工場に運ばれ、小さく加工される。バスは石切り場の後ろのトンネルへと吸い込まれてゆく。低速で走っているにもかかわらず砂利道を走っているかのようによくゆれる。道は右へ左へ緩やかにカーブを描く。入り口も出口も見えない長いトンネル。粗い間隔で並んだナトリウムランプがトンネル内を黒とオレンジの縞模様に照らし出し、一定のリズムに乗って後方へ流れてゆく。ふと豊浜トンネル崩落事故を思い出してしまった。もしここで生き埋めになったら…
誰か気づいてくれるだろうか…?
しかもトンネルは工事中らしく、歩道が閉鎖され工具が置いてあるなど、さらに薄気味悪さを助長してくれる。無事トンネルを抜けたときにはほっとしたが、一線を越えてしまったような気もした。とにかくこのトンネルが精神的ななにかの境界であることは確かだろう。全長一・一kmの日原トンネル。僕はここを幻影トンネルと呼びたい。

“日原の家並み”

 石積みの段々畑が見えてくると、程なく日原の集落に入る。山腹にへばりつくように家や畑があった。集落は思っていたより大きく、駐在所や簡易郵便局まであって、失礼な言い方になるが、よくこんなところに人が住んでいるものだと感心してしまう。
「ここに住んでいる人たちはどうやって生計を立てているのかなぁ」
Yが素朴な疑問を口にする。畑があるので自給自足的な生活はできると思うが、ほかにも民宿や釣り宿、あるいは先ほどの石切り場で働いているのかもしれないし、車で奥多摩町の市街まで出ているのかもしれない。ちなみに日原鍾乳洞行きのバスはなぜか土休日はここ東日原どまりとなってしまう。ここから鍾乳洞まではまだ2kmあるという。バスは軒先や石垣の間を巧みなハンドルさばきですり抜けてゆく。左右の隙間は狭いところで数センチしかない。
 中日原のバス停を過ぎ、再び山道へ。やがて唐突にバスは止まった。奥多摩駅から30分、シャッターの閉まったドライブインが一軒あるだけの転回すらままならない山の中、そこが終点・日原鍾乳洞バス停だった。降りて唖然としているとバスは前方の橋を渡り、その先の三叉路でスイッチバックしてあっさり転回し戻ってきた。鍾乳洞はここからまだ200m先らしい。先に降りたカップル二人の後を追って橋を渡る。川に沿って二つに分かれた道はどちらも行き止まりとなっているようだ。進路を右へ。ますます道は険しくなり、川も ”小川谷”という名前になってしまう。山の上には雪まで積もっているではないか。途中に一軒だけレストハウスがあった。裏には銚子の滝があって、お猪口と徳利に見立てたものだという。青い流れとしぶきの音に、ふとあの水が温泉だったら滝壷がちょうどいい露天風呂になるだろうと思った。
 一石山神社にお参り。表から入って裏から出たら、鍾乳洞の先・小川谷林道は通行止めになっていた。そこにはそそりたつ巨大な石灰岩の絶壁があり、落石でもあったのかもしれなかった。少し道を戻って鍾乳洞に入る。大人600円を払い、いざ中へ。

“日原鍾乳洞”

 頭をぶつけそうなほど狭い素掘りの坑道のような穴が続く。ずっとこの調子だったら腰が持たないと思っていたら本来の洞穴に出たらしく急に広くなった。もっとも、そこに鍾乳洞という言葉から連想されるであろう白亜の優雅な世界は存在しない。しかし荒々しい洞穴、黒く、雄雄しく、見るものを圧倒する岩塊はいかにも奥多摩らしい。思ったよりアップダウンがあって、シルクロードのカレーズに迷い込んだ
ような三途の川や地獄谷、死出の山、賽の河原などおどろおどろしい名前の場所が多い。今は見学路が整備され電気がついているからそれほど怖くはないが、昔の人にはまさしく地獄に見えたに違いない。実際、見学コースを外れて真っ暗な穴の中を覗いたりするとなかなか怖いものだ。
 やがてあみだの原という場所に出た。あみだの原はとても巨大な空間で、さながら地下神殿か何かのよう。天井からしたしたと雫の滴る音だけが静かに聞こえる。もしかしたら知覚できない領域で、山や石の音も耳に入っているかもしれない。祭壇のような階段を登り、縁結び観音にお参りしておく。この縁結び観音は、坑口からは三途の川を越えた最奥部にあり、まわりは賽の河原で石ころが無数に積んであるという妙にせつないところだ。恋を成就させるためには死をも恐れぬ覚悟が必要ということなのかもしれない。しかし死んで(=三途の川を渡って)しまっては元も子もないのではなかろうか。
 立ち入りできる最も奥の十二薬師にお参りする。この先には大広間や地の池地獄などがあるらしい。危険なので立ち入り禁止らしいが、地の池地獄というものは見てみたい気もする。それにしても薬師様の祠の前にお賽銭があるのはわかるが、天井にまでお賽銭がへばりついているというのはどういうことだろう?
 旧洞を見終え、順路に沿って新洞へ。いきなり険しい階段が続く。傾斜が急なだけでなく濡れているので非常に危ない。息も絶え絶えに登ると、ここはだいぶ鍾乳洞らしい空間が広がっている。この新洞は荒々しく三次元的に広がっており、空中回廊のように見学コースは設けられている。ただし危険防止と盗掘阻止のためか通路はフェンスで囲まれており、鍾乳石を背景に写真を撮るのは難しそうだ。足元にも十分注意されたい。
 一通り見終わって鍾乳洞を出るとまばゆい光に包まれた。まだ14:30だからあたりまえといえばそうなのだが、確かに地獄から現世に戻ってきたような気分がしてほっとする。次のバスは14:55。丁度いい。調べてみるとバスはだいたい一時間半〜二時間の間隔で走っており、鍾乳洞をじっくり探勝しても大丈夫なようにダイヤが組まれていることがわかる。
 バス停まで戻ると先ほどのカップルのほかにもう一人いた。荷物が少ないから地元の方かもしれない。閉まっているドライブインは見晴亭といった。たしかに日原川の展望は良さそうだ。まだ若干余裕があるので、Yは三叉路のもう一方の道を、鼻歌交じりに探索しに行った。僕はというとバス停の手前の橋で沢のせせらぎや木々の声に耳を済ませ、枝と枝をちょこちょこ飛び回っているヒガラなどを飽くこともなく眺めていた。

“休息”

 到着したバスからは男女4人が降り立って鍾乳洞への道を歩いていった。日が飴色になってきて眠気が襲ってくる。それでもがんばって起きていると、倉沢などいくつかのバス停から重装備の山男たちが乗ってきた。あらためてここがすごいところだと思い知る。
 15:30奥多摩駅前に帰還。Yは奥多摩駅で定期券を買いたいらしく、郵便局に行くという。僕もフィルムを切らしてしまったので買わなければならない。きっと駅前の商店で買えばぼったくられるだろうから、コンビニでもないかとYと一緒に奥多摩町の市街地を歩く。オリオンカメラという、古びていい感じのカメラ屋でフィルムを購入。表の道ばたでフィルムを入れ替えているとYも郵便局から戻ってきた。それにしてもこの町はここ数十年変わっていないのではと思うほど、妙に懐かしい街並みだ。いつまでもこんなのどかな雰囲気であってほしいと思う。
 昼飯を食べておらずいいかげん腹が減った。他に店も見当たらないので駅前の蕎麦屋に入ることにした。建物が古いのかダンプカーがとおるたびに建物がゆれる。しかもなかなかそばが出てこない。急ぐ旅ではないのでゆっくりして、椅子の上に置いてあった―というより誰かが忘れていった―氷川周辺の観光ガイドマップを広げてみる。駅周辺や奥多摩湖方面にも手近なハイキングコースがあることを知る。出てきたそばはよくいえば素朴な味で、汁がしょっぱいのが難点。まぁこんなところで期待するだけ野暮というものだ。

“ワサビソフトの逆襲・鳩の巣渓谷”

 しばらくのんびりしていたいのはやまやまなれど、発車まであと7分と迫ったので駅へ。しかしYが定期券を購入しているうちに電車は行ってしまった。次は16:45発だ。暇なので待合室の売店で奥多摩まんじゅう(?320?)とワサビソフト(?350)を購入。このワサビソフトがありえない代物だった。どれほどすごいかというと、口内が内出血するくらい。こんなものダラダラ食っていられないので、大急ぎで食べる。ホームで電車を待つサラリーマンが、何か珍しい生き物を見るような目でタバコをくゆらせていた。
 陽は山並みの向こうに隠れ、早くも町には黄昏が迫りつつあった。気を取り直して電車に乗り、一つ隣の白丸駅へと向かった。氷川(奥多摩)〜白丸〜鳩ノ巣の間は多摩川に沿って遊歩道が整備されているらしく、それぞれ50分〜40分で歩くことができるという。白丸も鳩の巣も好きな駅なので立ち寄りたい。日もくれかかってきたので白丸→鳩ノ巣を歩くことにした。以前夏の早朝に訪れたときは霧で幻想的な雰囲気だった白丸駅も、今こうして降りてみると山間の普通の駅である。それでも見る角度によっては懐かしい香りが漂う。記念に切符でも買っていこうと思ったら券売機は故障中だった
 国道411号線に降り、地図も見ずに歩き出す。大型トラックが行き交う二車線道路で路肩はほとんどなく、かなり危険。山に登る階段があったので――いやな予感はしたのだが――
登ってみると青梅線の線路際に出た。きっと保線用のものに違いない。見つかって保線区のおっちゃんに怒られるのもいやなので早々に撤収。
 やがて道前方にトンネルが見えた。これはさすがに通れないだろうと車の合間を縫って道を渡り、旧道に入る。そこには白丸ダムがあって、どうやらダムの上を歩けるようなので渡ってみた。小河内ダムと比べるとその足元にも及ばない小さなダムだが、どうしてなかなか爽快な眺めだ。雪解け水を孕んでか貯水量は多い。振り返ればはるか下には魚道の流れが見えた。
 ダムを渡ると←鳩ノ巣 白丸→という道しるべあり。どうやら遊歩道は国道411号線とは対岸にあったようだ。せっかくだからこの遊歩道を歩いていこう。はじめは杉木立を進む平凡なハイキングコースだったが、途中でいきなり川岸へ降りていく。もう少し暗かったら道を間違えるところだ。道は一転して石灰岩の巨岩奇岩ひしめきあう渓谷の岸に出た。ダムが放水したら水に浸かってしまうのではないだろうか。アップダウンが激しい。鳩ノ巣小橋という吊り橋を渡るころにはだいぶ薄暗くなってきてぽつぽつ小雨が降り出したが、もう大丈夫。国民宿舎の脇を通り、鳩の巣トンネルの前を横切り、坂を登れば鳩の巣駅だ。国道411号線より一段高いところにあるこの駅は開業以来のレトロな駅舎を持つ。こぢんまりしていて実にいい駅だ。委託の駅員氏はもうすでに引き上げていて、なぜかここでも券売機は故障していた。

“エピローグ”

 山も谷も集落も、どんどん青色の闇に飲み込まれてゆく。17:56発青梅行きでかの地を去る。暮れなずむ車窓を眺めながら暗くなる前に山を出られたことに安堵する。
Yと他愛もない話に花を咲かせ、青梅、そして立川へ。西国分寺から武蔵野線で帰るYを見送ると、南武線〜京王線と乗り継いで帰った。

 僕は旅に出るたびに自分のちっぽけさを思う。それでも圧倒的な大自然の営みを前にして、僕は満足する。僕は心の区切りをつけたはずだった。しかし現実はそうう
まくいかない。

 奥多摩。それは青春の幻影なのかもしれない。